農業国家イギリスの産業国家への変身

農業国家イギリスの産業国家への変身
⓵14世紀においてもイギリスは、ヨーロッパ大陸から孤立した島国で、牧羊を中心とする農業国に過ぎず、ヨーロッパ大陸のような繊維産業のような産業らしきものはなく、イギリスの産業はヨーロッパ大陸の国々から大きく立ち遅れていました。
②産業を支える職人ギルドは職人組合として存在していましたが、職人ギルド自体は親方を中心とする職人の徒弟制度からなる閉鎖的な組織でした。この当時、イギリスに限らず、中世ヨーロッパではギルド制度はいずれも既得権益化し、第三者の参入も容易でなく、自由競争が制限され、産業政策上必ずしも好ましい状況ではありませんでした。
③イギリスにもヨーロッパ大陸のフランス、ドイツのように国王や君主の特権に相当する国王特権があり、国王特権を活かして外国技術者を招聘しイギリス産業の発展を促進しました。従って、発明自体に対する認識は薄く、発明自体を独自に遣り取りする慣習はありませんでした。特に中世までは国民の識字率も数%と低く、発明自体を客観的に文章化することはできませんでした。
エドワード3世が農業国家を産業国家へ
⓵中世イギリスでは例えばエドワード3世が国王大権を活かして外国から職人を招聘し、彼らの技術をイギリス国内に移植させ、国内産業を育成しました。即ち、エドワード3世は、スペインの統治下にあったフランドルからエノー伯の娘フィリッパ妃を王妃として迎えました。フランドルはヨーロッパの商工業の先進地域で、この結婚を機に、エドワード3世は王妃の助言もあって1331年に国王特権を用いてフランドルからジョン・ケンプという職人を独自に招聘し、彼にギルド制度の制約を越えて織布、漂布、染色業に開封特許状(Letters Patent)を与え、繊維産業を奨励し、育成しました。
②更に、国王は1367年にはデルフトから2名の時計職人を招いてイングランドにおいて時計製造に開封特許状を与え、機械産業の基盤を創り、イギリスの産業国家への転身を図りました。時計職人は、時計を構成する歯車、ゼンマイなどの要素技術を備え、駆動機構や機構学などの基本を構成しており、この時計技術が産業革命の走りとなる紡績機などの発明に大きく貢献しした。
③ここで開封ペイン特許状とは国王が個人的に営業許可等の伝達事項を国民一般に周知させる公開文書で、ギルドの許可証の例外として交付される営業許可証でした。開封特許状自体は、独占的事業を認めるものではありませんでした。エドワード3世の後には、例えばヘンリー6世が1449年にはフラマン人のガラス職人John of Utynamに開封特許状を付与し、ステンドグラスの製造を20年間独占的に実施させました。つまり、職人の持つ具体的な技術自体に特権を付与し、ヴェネチアのように発明を保護するものではありませんでした。況して、現在のように抽象的な技術思想に特許を付与する発明を保護する制度でもありませんでした。
④ その後、ヘンリー7世は内国民に種々の技術を習得させ、産品の自給に努め、ヨーロッパ大陸からの技術的遅れを取り戻すよう努めると共に国内資金の海外への流出を防止しました。このような国王大権による開封特許状は議会に諮ることなく実行されました。
参考文献:清瀬一郎著「発明特許制度ノ起源及び発達」(p17-p19))。
チューダー朝末期の特許侵害事件を機に特許制度を成文化
⓵16世紀にはエリザベス女王が国王大権を用いてエドワード3世のように外国技術を導入していました。この時代にはスペインが南アメリカからの銀などの天然資源の持ちこみ等によって一大帝国を築き、スペインの艦隊が無敵艦隊としてドーバー海峡や北海を跋扈しました。イギリスはスペインの無敵艦隊との紛争などにより財政難に陥りました。そのため、エリザベス女は寵臣などの貢献度に応じて塩等の日用品などに開封特許状を濫発し、その収入で国の財政の改善を図りました。このような開封特許状の濫用は産業発展を促進する開封特許状の本来の目的を逸脱することになりました。
②開封特許状の濫用の極みがトランプの独占権を巡るダーシーvsアリン事(1602)件でした。この事件は、エリザベス女王が寵臣ダーシーにトランプに関する特許状を付与し、トランプの製造販売特の独占権を認可したことにあります。この事件はコモン・ロー裁判所で処理され、その判決で被告アリンが勝訴して結審しました。
③ところが、エリザベス女王の後継者であるジェームズ1世は、紛争処理等の費用の他、アン王妃や家族の奢侈生活費の濫費が嵩み、それを補うために開封特許状を濫発せざるを得ませんでした。そこで、議会が国王大権の濫発阻止に動きましたが議会は国王大権自体を制限することができないため、当時の裁判官、エドワード・コークがマグナ・カルタによる王権制限を根拠にコモン・ロー裁判において国王特権を制限するに至りました。
④その結果、1624年には世界初の特許制度としてStatute of Monoplies(独占条例)が制定され、その後の国王特権の濫用が防止されました。世界初の特許法はヴェネチア特許法であると説明しましたが、ヴェネチア特許法では最初の発明であることは勿論のこと、真正の発明であることが初めて問われましした。この基本的要件は現在も変わることはありません。独占条例は最初且つ真正の発明者を保護する規定を世界で最初に規定しました。真正で最初の発明を保護するという考えは、近代特許法の始まりであったと云えます。
ダーシーvsアリン事件はどのような事件だったのか?
⓵エリザベス女王は国民に勤勉性を求はめました。国民がトランプに耽ることなく、勤勉に仕事に励むことを期して1588年にラルフ・ボウズに21年を限度に特許状を付与し、トランプの製造、販売、輸入の独占権を認可し、トランプの流通を一業者に制限し、トランプの全国的に流布することを防止しようとしました。独占権付与の10年後の1598年には前権利者が死亡し、トランプンの独占権は一端停止されました。
②その後、エリザベス女王は、廷臣エドワード・ダーシーに毎年特許料を支払うことを条件に新たに21年間のトランプの独占権を認可し、1600年に、ダーシーは資金を投入し、トランプの独占的製造、販売の準備をしました。ところが、被告アリンはダーシーの独占権の存在を知りながら、1602年に女王や原告の許可を得ることなくトランプの製造、販売を行った。そのため、原告のトランプ販売量が明らかに減少したため、原告はその救済を求めて被告を訴えた。これに対して、被告は、トランプは本来自由に製造、販売することができると反論しました(「発明特許制度ノ起源及発達」(清瀬一郎著、pp36-41))。
ダーシーvsアリン事件の争点及び判決
⓵原告ダーシーは、トランプの過剰な流通は国民に過度の娯楽遊戯を与えることになり、このことはエリザベス女王の意向に反し、好ましくないと考え、本件独占権で販売量を制限し、国民の娯楽遊戯の機会を削減し、かかる弊害を防止するできるとして本件独占権は適法であるとしました。
②これに対し、被告アリンは、国民の娯楽遊戯を法的に制限することはできず、況してや従来は自由に製造、販売できた者の販売を制限することはできない。却って、第三者の自由を制限することになり、このような独占権はコモン・ローの精神に反し、無効であると主張した。
③これらの主張を踏まえて、判決では、被告の主張を認め、独占権の設定はコモン・ローに反するとして当該独占権は無効であるとの判決を下した。

