中世ドイツ(神聖ローマ帝国)の発明保護は?

中世ドイツ(神聖ローマ帝国)の発明保護は?

⓵中世ドイツ、即ち神聖ローマ帝国は複数の領邦国家や都市国家などからなり、皇帝から領邦や都市国家の君主などに対して特権が付与され、領邦や都市国家の君主などはその特権を利用して特定の発明に特許状を付与し、君主などの恩恵として保護されていました。つまり、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)の発明保護は領邦や都市国家の君主などの特権によりされていました。そのためヴェネチアのような特許制度による保護ではありませんでした。

②ドイツにはライン川、エルベ川、ドナウ川のような大河が流れ、それぞれの流域には金、銀、銅、錫、鉄などの鉱物資源が豊富に分布しており、12、13世紀にはそれぞれの地域に鉱工業都市が形成されていました。各都市ではそれぞれの領主や君主がそれぞれの特権により鉱山業、冶金業やそれぞれの関連する揚水技術などを保護奨励しました。また、中世ドイツ南部では時計などの精密機械工業も発達していました。

③ドイツでは各種の産業技術それぞれに職人の集まりであるツンフト(職人ギルド)が形成され、組織内でそれぞれの技術を切磋琢磨し、秘密保護に努めました。ギルドで製造された物品は、職人ギルドの管理下で独占的に販売されました。このような職人ギルドによる特権はヨーロッパの各国にそれぞれに特有の制度として存在しました。職人ギルドに属しない職人による発明は、国王などの特権により職人ギルドによる保護の例外として保護されました。この特権による保護制度は特許制度の先駆けとなる機能を果たしていました。

④しかし、この時代は識字率が低く、情報伝達の多くは口承であったと思われます。従って、職人ギルドによる技術伝承も徒弟制度による見よう見真似で進められたと考えられます。当時は文字教育も不十分で識字率が極めて低かった。そのため、文字による情報伝達が十分でなく、発明等の技術を文章化することができませんでした。後述するように、15世紀の中頃、1455年になるとグーテンベルクが印刷技術を発明ました。これを機にドイツ語などの俗語を用いた印刷物が普及し、言語表現も豊富になり、職人を含め一般国民の識字率を飛躍的に向上したと思われます。従って、職人による発明等を技術内容も表現できるようになったと考えられます。

ドイツでは特権により近代特許法に近い形で発明を保護

①グーテンベルク以降、言語革命により識字率が高まり、職人等の技術者も発明に関し、領主や君主の特権による保護を受けるに、申請書に発明の詳細な説明書(明細書)及び図面を添付し、領主や君主の政府の関連機関に申請書を提出し、当該機関による審査を受けることができました。明細書には発明の利用分野、有用性、権利の請求期限などが記載されており、これらの書類に基づいて申請人の主体的要件や発明の有用性なの客体的要件が審査されました。つまり、中世ドイツでは発明を明細書に記載して提出する近代の特許制度に一歩近づいたシステムを採っていました。

②とは言え、発明のような技術思想に文章化することには 困難を極めたであろうことは想像に難くありません。その難しさ故に現在では技術者に代わって申請する代理人業務が存在しています。申請書において出願人や発明が主体的要件や客体的要件備えておれば、2年から20年の間排他権が付与されました。

③このようにドイツの発明保護制度は発明の内容を審査する近代特許法に近い特徴を備えており、後述するイギリスの制度(無審査)よりも進んでいました。また、手続自体も比較的簡単で出願費用も一回の支払いで済み、これらの点でもドイツの制度はイギリスの制度よりも優れていました。

 参考文献:William J. Flynn著:「Patents since the Renaissance」p.10-12(2006)。

ドイツの発明

①この時代にドイツにおいて保護された発明としては、例えば1531年から1620年の間に90件の特許が付与されました。そのうち15件は金属精錬時等に燃料として使用される木材の節約に関する発明であり、9件は製塩に関する発明であった。塩は人類の生存に基本的に必要とされる資源であり、当時から基幹商品として極めて重であったことが分かります。また、16件は鉱山での採鉱や鉱石からの金属採取や冶金に関する発明で、8件は鉱山開発に用いられる水力装置やポンプに関する発明であったと記録されている。

②神聖ローマ帝国のこれらの技術レベルは高く、他の国々を凌駕していた。特に、銀を精錬する水銀アマルガム法の発明により効率的に銀を製造できるようになった。また、この技術は、神聖ローマ帝国と兄弟関係にあるスペインが支配する南米でのポトシ銀鉱山での銀の生産を飛躍的に増産させ、神聖ローマ帝国などヨーロッパへ持ち込み、貨幣などに利用されました。

 参考文献:William J. Flynn著:「Patents since the Renaissance」p.10-12(2006)

ドイツの進んだ鉱山業や冶金業の発明はエリザベス女王を介してイギリスへ

 ⓵ドイツの鉱山業や冶金業は15、16世紀にピークを迎え、その後徐々に衰退しました。ドイツの多くの技術は、ドーバー海峡を越えて16世紀のエリザベス女王の時代にギルド制度の例外としてイングランドへ導入されました。

 ②即ち、エリザベス女王は国王大権を用いてドイツから鉱山業、冶金業の技術者14,000人を招聘し、ロンドンに定住せて国内の技術職人に彼らの技術を修得させ、ドイツの鉱業技術、冶金等に留まらず製紙業、醸造業、時計製造業などの技術をも導入し、国民に技術教育を施すと共に国内産業を育成しました。

 ③しかしながら、ドィツは種々の宗教戦争、特に1648年の30年戦争の終結時にはドイツ自体が疲弊し、自国の技術は壊滅状態になりました。それ以降、ビスマルクがドイツを統一し特許制度が創設される1871年までドイツ産業は停滞を余儀なくされました。ビスマルク以降の統一ドィツの産業は化学分野で飛躍的に発展しました。

 参考文献:Willian J. Flynn「”Ptents Since the Renaissance」p.11(2006)。

グーテンベルグの印刷技術に関する発明

 ⓵印刷技術は、1455年にヨハネス・グーテンブルグによって発明されました。 ヨハネス・グーテンブルグは、1398年頃に上流階級としてライン川沿いのマインツに生まれ、1468年に亡くなり、マインツの教会に埋葬されました。グーテンブルグが育った環境は上述のように銀、銅、錫などの金属が豊富で鉱山業や冶金業に関する発明が多くなされた。また、銀などによる貨幣も鋳造された。

 ②グーテンブルグ自身は造幣所の金細工師として成長し、鋳造職人としての評価を得ていました。鋳造職人としての技を活かし、活版印刷用の金属活字の量産技術について秘密裏に研究し始めましたが、開発の途中から資金不足に陥り、開発資金調達のために秘密を明かし、出資者の協力を得て金属活字と金属活字に馴染む油性インクを開発しました。金属活字は、例えば鉛、錫、アンチモンの低融点金属からなり、真鍮製の鋳型(母型)に鋳込んで鋳造されました。この母型は真鍮板の彫刻などの金属細工により作製されました。また、金属活字から言葉を文字列として組み立て、これに油性インクを塗布し、葡萄酒用のスクリュープレスを利用して平板上に敷かれた紙に印刷しました。

 ③このように印刷用の活字、油性インク、そしてスクリュープレスを一つの印刷システムとして作り上げたことに印刷機としての価値がありました。しかし、グーテンベルグ自身は、印刷システムに対する特許を取得しませんでした。

印刷機の普及と宗教改革

⓵1450年代はルネサンスの最中にあり、人道主義が広まっていた環境下で印刷システムが発明されました。この当時は、文芸や思想の伝達手段としてラテン語が使用さていましたが一般人の位置疎通に現地人の日常会話には現地語が使用され、普及し始めました。それまで、聖職者を中心に使用されたラテン語に限らず、イタリア語、ドイツなどの俗語が現地語として用いられ、現地語によって職人や芸術家などがそれぞれの考えを普及させることができました。

 ②しかし、俗語は日常用語であるため、語彙が限られ、表現に限界がありその都度新たな言語が開発され、必要に応じてラテン語が転用されました。このようにドイツでも言語革命が進み、俗語による表現が豊かになっていきました。言語革命の時流に乗って印刷システムがより一層普及し、職人や芸術家などの考えが印刷物を通して広く普及しました。

 ③この画期的な発明は特許を受けることがなかったため、隣国ヴェネチア、ネーデルラント、イングランドなどに印刷技術が一気に広まり、これらの地域を起点に一大印刷センタが築き上げられました。そして、職人や芸術家の思想のみならず、マルチン・ルターの「95箇条論題」などによる宗教改革もヨーロッパ全域に急激に拡散していきました。

Follow me!

コメントを残す