16世紀から17世紀のオランダの特許制度

16世紀から17世紀オランダの特許制度
⓵中世に独立国家オランダは存在せず、17の低地諸州からなるネーデルラントの一地域として存在し、北海に面しフランスの北部で神聖ローマ帝国の西側に位置していました。そして、ネーデルラントはフランスのブルゴーニュ公国時代があったため、発明は中世フランス特許に準じた保護を受けていました。
②ネーデルラントでは、その土地柄、海洋技術、灌漑治水技術に関する多くの発明がなされたと考えられます。中でも、南部のフランドル地方やブラバンド地方では地域開発が進み自治権として特権が付与され、交易都市、商工業都市として発展しました。
ネーデルラントとは
⓵ネーデルラントは、今でいうオランダ、ベルギー及びルクセンブルクを含む17の低地諸州からなり、ブルゴーニュ公国を経てカール5世による神聖ローマ帝国領になりました。その後、カール5世は、スペイン系とオーストリア系に分かれ、スペインはカール5世の子、フェリペ2世に引き継がれた。フェリペ2世はスペインをカトリックで統制し、ネーデルラントもカトリック系で統制されました。
②ネーデルラントは、ライン川、マース川、スヘルデ川などの大河が流れ、それぞれの北海沿岸に良港が形成されていました。スペインの統治下にあり、交易国家として発展しました。低地帯であったため、灌漑、干拓治水技術が進んで良港に恵まれ、隣国のイギリスの羊毛を利用した毛織物工業が盛んでした。
③ネーデルラントは、隣国、神聖ローマ帝国のルターやフランスのカルヴァンなどによる宗教改革の影響を受け、プロテスタント系の信者が多く、北部7州はプロテスタント系によるユトレヒト同盟が結成され、スペインからの独立を目指しまし、1568年から80年に渡る独立戦争の結果、1648年の30年戦争の終結を宣言したウエストファリア条約を機に独立が承認されました。ここにネーデルラント北部7州によるネーデルラント連邦共和国が誕生し、ネーデルラント連邦共和国は交易国家として国際的に発展を遂げることになりました。
④ネーデルラントには16世紀の大航海時代に東インド会社が設立され、東南アジアへ貿易圏を拡張すると共に、ポルトガルの貿易船やドイツのハンザ同盟の商人が盛んに行き来するようになりました。この頃にはフランドルの交易都市ブリュッヘに代わり交易都市アントウェルペンが商業金融都市へと発展しました。更に、アントウェルペンではポルトガルの香辛料、ドイツ、ハンガリーの銀、銅など取り扱い、更にはスペインを介して南アメリカ産の銀を取り扱い、国際的な金融都市として発展した。
ネーデルラントの特許制度
⓵ネーデルラントの特許制度は、フランスの影響下にあり、16、17世紀までの間の神聖ローマ帝国の時代に始まり、フランスと同様の制度が続き、スペインの治世下でも継続されました。 主に海外から新しい技術を導入し、輸入特許も奨励し、閣内産業を育成しました。
②ネーデルラントでは独立戦争が始まった1588年から独立戦争が終結した1648年の80年間にも400件の特許が発行されました。特許審査は隣接するフランスが科学アカデミーを介して審査していたことから、この影響でネーデルラントでも議会を介して特許の審査を行っていたと考えられます。フランスではアンリ2世の下、世界で初めて特許明細書を公開するようになっていました。そのため、ネーデルラントにおいても特許明細書が利用され、その記載内容に従って発明の審査をしていたものと考えられます。
③ネーデルラントは毛織物などの繊維産業や治水、灌漑事業が盛んであり、水車などの動力技術、軍事技術、揚水技術が盛んでした。ネーデルラントではこのよう技術力を発揮し、造船技術、船舶を含む海洋技術、航海技術の開発に注力され、特に喫水の浅い画期的な小型船舶を発明しました。発明された船体はスリムで帆走速度を高速化できるものであった。この小型船は海外にも輸出された。この小型船は走行性に優れ、貨物搬送に重宝された。このような技術も特許申請されていたと考えられます。
③特にこの帆船は東インド会社などの海洋貿易、特に香料貿易でフル活用され、イギリスの東インド会社との競合し、航海条例で利用するイギリスとの間の3度の英蘭戦争へと発展しました。しかし、1688年の名誉革命でチャールズ2世は姪のメアリーをオランダ総督ウィレム3世に嫁がせ、メアリーとウィレム3世をイングランドの国王として向かい入れ英蘭戦争は決着しました。
参考文献:(Willian J. Flynn “Ptents Since the Renaissance” p.14(2006)

