イギリス特許制度における明細書の意義は?

イギリス特許制度における明細書の意義は?

 ⓵イギリスではエリザベス女王の治世下で国王特権による塩などの日用品に対する独占権の濫発による反省から、1624年に特許制度としてStatute of Monopolies(独占条例)が創設されたことにより、真正且つ最初の発明のみが特許を受けることができるようになりました。それまでは、国王が認めた職人や技術者に特許状を付与し、特許状に基づいて発明や技術を実施してきました。その際、発明や技術の説明書、即ち、明細書の提出については規定されていませでした。その後、明細書について議論されるようになりました。始めは特許権を延長する際に明細書が要求され、その後、特許出願時に明細書を要求するようになり、明細書が特許出願に必要不可欠になりました。つまり、イギリス特許制度における明細書の意義は、産業革命時に提起された幾つかの裁判例において徐々に明確にされ、発明の位置づけるという重要な役割を果たすようになりました。

共和制による産業及び特許制度の停滞

 ⓵独占条例の規定後にはイギリス国内が動乱期に入り、独占条例は長い期間活用されることはありませんでした。例えば清教徒革命により国王チャがールズ1世の処刑により王制が廃止され、クロムウェルによる共和制が始まり、王政下の法律が一切廃止され、独占条例も廃止された。

 ②その後、王政復古によりチャールズ2世が1660年に王位に復帰しました。これに伴って独占条例等の法律も王政下に復活しました。王政復古後、例えば1680年から1780年までの100年間で800件、一年間に8件程度の特許件数があるに過ぎませんでした。

イギリスでの裁判例における特許明細書の意義の変化

⓵明細書自体が問題になったのは17世紀のチャールズ2世の末期であった。真正且つ最初の発明者がその事業を開始する際に国王に請願し、発明の事業化の認可を得ることになります。この際に、請願書に発明の事業内容を記載して請願していました。国王の意向に沿ったものであれば特許状の付与を受けることになります。

②この際、独占条例の手続に特許明細書を提出することはなかった。しかし、1670年に特許状の存続期間(14年)が切れ、25年の延長議案が議会に提出された時に延長の客体である発明の内容が記載された書面の提出を条件に延長が認められた。この書面が特許明細書とされました。特許明細書はあくまでも特許状延長の内容確認のために提出されたに過ぎなかった。

しかし、時代が進み、ジョージ2世の治世下(1727-1760)で初めて特許状取得の条件として発明内容を確認するための特許明細書が要求され、特許明細書の提出が法的要件になった。従って、ジョージ2世以降の治世下で全ての特許状付与請求に特許明細書の提出が必要なりました。

④その後は特許明細書を基準に発明の内容を審議するようになりました。特に、ジョン・ロックの自然権思想を背景に創作物に対する価値観が変わり、創作物は自ずと創作者に帰属する権利として認められるようになりました。18世紀の末期には例えばアークライト、ハーグリーヴス、ワットなど多くの著名な発明家による発明が誕生し、特許明細書の記載に関する種々の裁判が提起されることが多くなりました。

裁判は特許明細書を基準に争われる

 特許明細書には発明の内容が記載されます。発明の理解を促進する図面が必要に応じて添付される。特許明細書には当業者が発明を再現できる程度に記載されなくてはなりません。発明を開示する意味がないからです。従って、特許明細書には発明の実施に不可欠な事項が漏れなく記載されている必要があります。記載漏れがあると発明の開示が不十分として拒絶される。特許後に発覚すれば無効になります。つまり、特許争訟は明細書の記載を基準に争われます。

 参考文献;清瀬一郎著「発明特許制度の起源及び発達」(pp139ー141)

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